多感作用、誰が為に共感はあるのか?

とりとめのない日記のようなもの

紙は所有物たるか

うず高く積まれた雑誌は不自然にページがたわみ、その間からは段ボール紙で出来た箱状のものが挟まり、紐がかけられてる
実際積まれている本の冊数はそんなに多くはない筈なのにただならぬ存在感を放っている
今ではよく見る光景である
付録がつかない雑誌を探す方が難しい上に付録が必ず付属している雑誌、とあるブランドと提携した箱状の雑誌
本が売れなくなってしまった結果、付録が雑誌の内容自体に取って代わる価値となっている
雑誌の値段を変えなくてもコストを抑えることが出来てしまう
弁当箱であっても、ポーチであっても、ちょっとしたアクセサリーであっても
ものの値段が分からなくなる
そのブランドで売ってるものとは少し質の落ちるそれは、果たして手元に置いて良いものなんだろうか、
雑誌の値段と変わらないからと甘んじて買ってしまうそれは無駄になってしまわないんだろうか
雑誌の半分近くを埋める広告、それらの多くはダイエット商品が多いように感じる
これだけ痩せましたと水着になってポーズを取る女性達
安野モヨコの書いたダイエットに纏わる漫画を思い出した
食べては吐いてを繰り返す
やがて吐くことが目的になって食べることを繰り返して、最後は職まで失いかけて、人間関係もぐちゃぐちゃになって
それでも彼女は何を望んでたんだっけ
…忘れてしまったけど
そして私は付録がついてるから雑誌を思わず買ってしまうけど、
結局は無駄になるんだな
ひと時の満足感、なのかもしれない
いつでもいつまでも何かを渇望するのが人の性で、
それでも得られる満足感なんて渇望してた分よりずっと少ない
ステイハングリーではなく、
不満じゃないと、頭に人参ぶら下げないと目標なんて立てられないのかもしれないな
ハムスターの回し車みたいにぐるぐる回る毎日、ちょっと走り過ぎて
回っていくスピードについていけなくて、体重まで預け切って大回転しちゃったり、
走るのを止めちゃうと事の外不安定な足場に今更ながら不安になっちゃう
だからこそ走り続けなきゃいけないんだって
…最初は本について書こうとしたんだけど、まあいいか。